解けない呪い
「自己肯定感」という言葉、近年よく聞くようになった気がします。
わたし自身、「わたしは自己肯定感が低くて・・・」と、数か月前までよく口にしていました。
「誰かの役に立っていないと、自分には存在する価値が無い」という強迫観念があったのです。
(あくまでも、「対自分」限定。人に対しては全く思わない)
学生のころから、なんか生きづらいな、なぜ他の人みたいに生きられないんだろう、と思っていて、大人になってから「自己肯定感」という言葉を知りました。
いろいろ調べてみて、わたしは、自分の自己肯定感が低くなった原因を、祖母だと考えるようになりました。
同居していた祖母は、小学生のわたしに、毎日「あんたのお母さんはだらしなくて、家事ができなくて・・・」など、嫁(わたしの母)の悪口を延々と話しました。
離婚した親が、子供に対して、もう一方の親の悪口を聞かせていると、子供の自己肯定感を下げる、という話を聞いたので、「ああ、きっとおばあちゃんのせいだ」と思ったのです。
「そういうダメな人の子供である自分もダメな人間なんだ」と思ってしまう、という話は説得力があるものに思えました。
そして、なんとなく、祖母が亡くなったら、わたしの呪いは解ける、という、根拠のない期待がありました。
でも、祖母が亡くなっても、わたしの自己肯定感には、変化がありませんでした。
やっと腑に落ちた、「できた」を積み重ねることの意味
転機になったのは、オンラインコミュニティで出会った友人に教わって、習慣化の訓練をし始めたことです。
プランク(簡単な筋力トレーニング)をする、鏡を拭く、化粧をする・・・
これならできる、ということを、「こんなこと・・・(笑)」と言って馬鹿にせず、絶えず毎日積み上げる訓練です。
「できた」「できた」を積み重ねていくと、少しずつ、でも確かに、自己肯定感が上がっていくのです。
たぶん、わたしの人生の様々な局面で、いろんな人が教えてくれていたんだと思います。
理想ばかり高くして「できなかった、またできなかった・・・」と落ち込むのではなく、「どんな小さなことでも、できたことを数えていくのがいいよ」と。
これまでは、あまり納得していませんでした。
でも今回はすごく腑に落ちるところがありました。
人の話を素直に聞く、という準備が自分の中に整ったタイミングと合ったのかもしれません。
「自分との約束を守る」
ある朝、「あ、そうか」と気づきました。
約束を守ってくれる友人に対しては、「ああ、わたしのことを大事に思ってくれてるなあ」と感じ、好感を持ちますよね。
逆にいつも約束を破る人に対しては、良い印象を持ちません。
自分でやると決めた習慣を続ける、ということは、自分との約束を守る、ということです。
できそうもない高い目標を掲げて、「今日もできへんかった」「またできへんかった」とやっている状態って、いつもいつも自分との約束を破っている、自分をいつもいつも裏切っている、ってことになります。
そんなやつを好きになられへんで当たり前やわな~、って🤣
自分との約束を守る、「あなたを大事に思っているよ」のメッセージは自分に伝わります。
わたしのことを大事にしてくれるわたしを、わたしはどんどん好きになる、ということなんだと思います。
自己肯定感を高めるような言葉がけをしてくれる人を見つけるのもいいですが、自分で育てる自己肯定感がオススメです。
自分の人生の選択権を、自分の手で握れるからです。
どんなに小さくてもいい。
一緒に、「できた」を積み重ねませんか。
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